さんいん散歩
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パワースポット

八百歳まで生きた尼さんの伝説が残る「静の岩屋」を参拝しました。

 

 

八百歳まで生きた尼さんの伝説が残る「静の岩屋」を参拝しました。

 

本日は、鳥取県米子市彦名町にあります粟嶋神社の山麓西側にあります静の岩屋をご紹介させていただきます。

静の岩屋には八百比丘尼の伝説があり地元では長寿のご利益のあるパワースポットとして親しまれています。

 

 

八百比丘尼の伝説

昔、この粟嶋に数人で信仰していたリンゴン(龍神)講があって、当番になると神さん拝みの後、講仲間にごちそうを出すのがきまりでした。
ある年の当番が、ごちそうぶりに見たことのない肉を出しました。聞くと「これは人魚の肉で食べるとうまいし、不老長寿の肉だよ」と言いました。みんなは珍しげに見たもんの気味が悪うて、け、食べたふりをして肉を着物のたもとに入れ、帰りの舟の中で海に捨てたそうです。
ところが、一人だけ酒に酔っぱらっておって捨て忘れた人がいました。こな衆は、家に戻るとじきにいびきをかいて寝てしまいました。家には18になる娘がいて、父親の着物を脱がせていて、たもとにあった肉を見つけ、土産だ、と思って食べてしまいました。
はじめ体がとろけるように思われて、ちょっと気を失い、気が付くと肌はつるつる、耳はアリの歩く音、眼はノミが蜂ほどに見えるようになった。それからです。この人はなんぼ年をとっても、18の娘のまんまで老けんようになりました。同い年の者は、みんなしわくちゃ婆さんになって死んで行くのに、われ一人何年経っても一向に年をとりません。
寂しいでしょうで、知った者がみんな死んでしまって、自分だけ生き残っとるのは。『ジョウる』って言いますが、食を絶ってわざと死ぬことを。この人も仏壇の鐘を持ち出いて、そげして村人に「わしは粟嶋に渡って定に入る。 生きとる間は鐘をチーン、チーンと打つ。 音がせんようになった時が、わしの命日だと思うてごせ」って言って洞穴に入られたそうです。 定に入って何日か後に鐘が鳴らんようになりました。 その時この人は800歳だったので、村人は、八百べくさん、と言いましたと。 べくさんとは比丘尼びくに、女の坊さんのことです。   「米子の民話散歩より抜粋」

 

粟嶋神社の駐車場奥を先に進みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御岩宮祠

「お岩さん」と呼ばれるこの大岩は、その昔、神は海からおいでになると信じた古代人たちが、「海からたどり着かれた神様が、やれやれ着いたと、まっ先に抱きつかれた岩」すなわち「神の依代」として古くから信仰をされてきた。岩は石と同じで、石は「セキ」と読めるところから、風邪やセキによく効く神としておまいりする人が多い。又、古来、難病には霊顕あらたかな神であり満願成就のお礼としての寄進、奉納の記録も多い。

 

 

 

静の岩屋

八百比丘尼の伝説

昔、この辺りに十一軒の漁師がおり、粟嶋神社の氏子として毎月一回「講」という集まりをもっていた。ある時、一人の漁師がこの村に引っ越してきて、講の仲間に加えてもらった。一年後、その漁師が当番になった時、今までのお礼にとみんなを船に乗せ、龍宮のように立派な御殿に案内してもてなした。何日か経って帰る時、最高のご馳走として人魚の料理が出されたが、誰も気味悪がって食べず、たもとに隠して帰る途中で海に捨てた。ところが、一人の漁師が捨てるのを忘れたため、その家の十八歳になる娘が、父の着物をたたむ時見つけ、知らずに食べてしまった。それから後、娘は不老不死の体になり、何年経っても年を取らず、いつまで経っても十八歳の娘のままだったので、かえってこの世をはかなみ、尼さんになって自らこのほら穴に入り干柿を食べ、鉦を鳴らしつつ、息絶えたという。この時、娘の年令は八百歳になっていたので、村人達はこれをあわれんで、この娘のことを「八百比丘さん」とか「八百姫さん」と呼んで、ていねいに祀ったという。今でも、長寿のご利益があるとして、広く信仰をあつめている。

 

 

 

この先にトンボ池があります。

 

 

 

 

 

 

 

天気の良い日にはとても気持ちの良い散歩コースになります。

以上「八百歳まで生きた尼さんの伝説が残る「静の岩屋」を参拝しました。」でした。

ご参考になれば幸いです。

ご覧になっていただき、ありがとうございました。。。

 







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