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「木内鶴彦」さんをご存じですか?

 

 

「木内鶴彦」さんをご存じですか?

 

みなさんは「木内鶴彦」さんをご存じでしょうか?この人、おもしろい人ですよ~。ご存じない方に是非ご紹介したいと思います。

 

木内鶴彦(きうちつるひこ)とは?

 

「木内鶴彦」(1954~)さんとは、日本でも有名なコメットハンターです。コメットハンター自体聞きなれないですよね。コメットハンターとは、未知の彗星の発見を目的として天体観測に取り組む天文家、彗星捜索家を指します。木内さんは昔、自衛隊に務めておられたのですが、22歳の時に腸閉塞で倒れ死亡します。しかし、30分後蘇生するんです。死後蘇生し、医師のカルテに記録されている例としては国内でただ一人ということです。この時に臨死体験をされたということですが、なんと木内さんは、2009年にも訪れていた中国で臨死体験をするなど計3度の臨死体験をされます。その臨死体験の内容がおもしろいんです。

 

 

木内鶴彦さんの臨死体験

 

木内さんは臨死体験の時に、自分が鮮明な意識を持ったまま肉体を離れていること、そして意識だけの存在になると、時間と空間を超えて移動できるということに気づいたそうです。そのことに気づいた木内さんは時空を超えて過去や未来に行き様々な体験をしたそうです。

その一例が「月」のお話です。太古の地球に人類はいますが、まだ月はありませんでした。ある彗星が地球の引力につかまり、持っていた豊富な水を地球に流すと、残りの核が地球の衛星となります。それが「月」なのだそうです。その水の影響で海抜が2000m上がり海と陸地の割合が逆転します。その時のことが「ノアの箱舟」の話の元となったようです。

その他には、みなさんにもなじみの深い「織田信長」についてです。木内さんは本能寺の変の5日後に行ってみられたそうです。本能寺の変と言えば、明智光秀が「敵は本能寺にあり」 と謀反をおこし、信長は追い詰められて切腹。 しかし、骨も首もない。そして、光秀はなぜ信長を裏切ったのか。という謎多き出来事でした。その本能寺の変から5日後に行かれた木内さんは仰天、なんと信長が生きていて、明智光秀と話をしていたそうです。場所は福井県の若狭湾小浜の海岸。日本統一より世界統一を夢見ていた信長は、後継を徳川家康と認め世界を目指すためキリシタンとしてバチカンに行くと話していたようです。本能寺の変自体は、次第に神のように振る舞い始めた影武者の始末のために信長が計画したことだそうです。そして比叡山の焼き討ちで手に入れた、最澄さんが嵯峨天皇から預かったとされる秘宝を持って光秀と共にバチカンに渡ったそうです。その後、枢機卿まで上り詰めた信長ですが法王になる前に亡くなったようです。のちに木内さんがバチカンのことを調べると信長の名前に似た名の枢機卿がいたということです。なんとも信じがたくも面白い話ですよね。

 

 

 

以上、「木内鶴彦」さんをご存じですか?でした。

ご参考になれば幸いです。

ご覧になっていただき、ありがとうございました。。。

 


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