さんいん散歩
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神社仏閣

石見銀山争奪戦の舞台にもなった「物部神社」を参拝しました。

 

 

石見銀山争奪戦の舞台にもなった物部神社を参拝しました。

 

本日は、島根県大田市川合町川合1545にあります物部神社をご紹介させていただきます。

物部神社は、清々しくとても大きな神社で、勝負強さのパワーが宿る神社として有名です。近くには世界遺産にも登録された石見銀山があり、戦国時代には銀山争奪戦の舞台ともなり、その兵火などにより三度も焼失したとのことです。

ご祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)は、この地を平和で豊かな地域とするため、鶴に乗って御降臨されました。その山を鶴降山といい、山頂には今も国見をされた場所と伝えられる遺跡が保存されています。

 

物部神社お問合せ ☎0854-82-0644

授与所開所 開所8時半~閉所17時頃

社務所開所 開所8時半~閉所18時頃

物部神社は、古来より文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神として崇敬されてきました。
御祭神宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が鎮魂祈祷を最初に行った謂れから、神職の始めを為す神として占い・まじない・祈祷の神の信仰も厚いことでも知られています。

また、戦国時代、石見銀山争奪戦の舞台ともなり、大内氏・毛利氏の戦勝祈願の記録や武具の奉納、天領歴代代官の赴任に伴う報告祈願さらに文芸・武道の上達祈願、氏族繁栄・雨乞い祈願・戦中の砲弾避け等、多種多様の祈祷が為されました。
現在では、鎮魂祈願を中心に病気平癒・交通安全・社業繁栄・厄除け・初宮詣で等、全ての祈願依頼に対応しています。(物部神社ホームページより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石見尊徳岩谷九十老翁頌徳碑です。江戸後期から明治中期にかけての地元の豪農・岩谷九十老翁(米安大明神)を顕彰する石碑です。 飢饉の時には私財をなげうって町民に食べ物を分け与えるなど地域に多大な貢献をされた翁の偉業は、地元川合小学校の校歌にも物部神社の名と共に残っています。

 

 

 

勾玉の形をした手水石は、砂金が含まれている大変珍しい「富金石」で造られています。手水石には勾玉の形をした「浄」「勝」「財」「健」「徳」の石が埋め込まれており、この石に触れることで勝運や財運などのご利益がいただけると言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鶴のくちばしの上にカエルがやすんでいました。

 

 

 

東五社(神世七代社)です。「日本書記」において天地開闢のあとに現れた13柱(神世七代)を祀る末社です。

 

 

 

須賀見神社・乙見神社です。本殿東側に鎮座する末社。 御祭神はそれぞれ宇摩志麻遅命の子孫にあたる六見宿禰命と三見宿禰命で、第6代孝安天皇の御代に活躍された神様です。

 

 

 

後神社です。御祭神・宇摩志麻遅命の妃神である師長姫命を祀る摂社です。

 

 

 

一瓶社です。佐比売山三瓶大明神を祀る末社です。 石見国を制した宇摩志麻遅命は3つの聖なる瓶を各所に納めて平和を祈りました。 その1つが一瓶社です。 そして2つめは浮布池の邇幣姫神社に、3つ目は三瓶山の麓の三瓶大明神に奉納されました。 これが三瓶山の名前の由来になったと言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御神井です。平安時代から枯れることなく豊かに御神水が湧き出ている御神井。  手水舎にもこの御神水が流れているほか、正月節分でおわかちする物部神社特製の御神酒にも用いられています。

 

 

 

よーく見ていただくと木の根元にヘビがいます。歓迎の印をいただきました。

 

 

 

西五社(荒経霊社・皇祖四代社)です。荒経霊社は素戔嗚尊を、皇祖四代社は天忍穂耳尊・瓊瓊杵命、彦火々出見尊・鵜草葺不合命(天照大御神の直系子孫4代)を祀っています。

 

 

 

稲荷神社です。稲倉魂命ほか大穴牟遅神、大年神、大地主神を祀る末社です。

 

 

 

御神墓へと続く階段です。5分~10分程度上る道です。

 

 

 

 

 

 

 

木の根っこが神秘的です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御神墓です。神体山である八百山のふもとに葬られたという御祭神・宇摩志麻遅命がお鎮まりになられていると伝わる円墳です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇摩志麻遅命が石見の地に降臨された際にお腰を掛けられたと言われる岩で、触れると御祭神の勝運の御神徳にあやかり全ての願いに通じる勝運を授かれると言われています。 勝石の裏には昔から大きくもならず枯れもしないと言い伝えられる桜の樹が植わっています。 この勝石と桜の樹は昔は神社から東へ600メートルくらい行ったところにある宇摩志麻遅命が国見をされた後に降り立たれた「折居田」といわれる場所にありましたが、道路の拡張工事のために昭和56年の秋、伝説と共に一緒に境内へ移されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菅原神社(天満宮)です。菅原道真公を祀る末社です。

 

 

 

柿本神社です。柿本人麿朝臣を祀る末社です。 柿本人麿は宮廷に奉仕した第一の歌人であり物部氏の流れとの説もあります。 石見と深い関わりがあり「君がため浮沼の池の菱摘むと わが染めし袖濡れにけるかも」という歌があります。

 

 

 

淡島神社です。少彦名命を祀る末社です。 医薬の神・足傷神・女性の守り神。(腰から下の病に霊験あらたかと言われています。)

 

 

 

八重山神社です。伊邪那美命、大山祇神、若布都主神を祀る末社です。 御神徳は牛馬守護・交通安全等。

 

 

 

パーソロン号神馬像です。モデルとなったパーソロン号は七冠馬シンボリルドルフの父馬でその血統で一時代を築いたサラブレッドです。  競馬ファンがよく訪れるということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ見所が収めきれていませんが、また来たいと思わせていただけて、とても清々しくて時間がゆっくり流れるような神社でした。

ご参考になれば幸いです。

ご覧になっていただき、ありがとうございました。。。

 









 

 

 

 

 

 

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